30周年記念応募紀行文 佳作(1)
30周年記念応募紀行文

カンボジア・ジャングルに眠る遺跡

カンボジア・ジャングルに眠る遺跡

その日は相変わらず朝から突き抜けるような青空で、今日も続く灼熱を予感させていた。連日気温は30数度、寒い極東の島から来た身にはこたえる温度差だ。しかしそれでも今日の一大イベントを思うと、そんな朝の目覚めもスッキリさわやかである。

事の発端は前日。季節は二月、大勢の日本人学生が卒業旅行でにぎわうアンコールワットの街においては珍しく社会人しか泊まっていなかったその宿で、たまたま出会ったカンボジアリピーター含む数人の旅行者と車をチャーターして郊外の遺跡へ出かけることになったのだ。

遺跡の名前はベンメリア。

まだ修復の手がほとんど入っておらず、ツアーで訪れる事もほとんどないジャングルの中に眠る遺跡である。

宿で作ってもらったお弁当を手にワゴン車で出発すると、予期していたものの未舗装の道の荒れっぷりは予想以上で、どこかへ掴まっていないと天井へ頭はぶつける、話していれば舌は噛む、もちろんエアコンはない(土ぼこりが酷く窓も開けられず)と余すことなく現代カンボジア道路事情を味わえた二時間半の後、やっと昼前に遺跡へ到着した。

ぐったりの中、降りて直ぐに目の前に飛び込んできたのは一枚の看板であった。

真っ青なペンキの看板は、遠くからでも土ぼこりの茶色とジャングルの深緑の中では完全な異分子としてその存在をアピールしている。そしてそこに書かれた真っ赤な「DANGER MINES!」とドクロマークが何よりも的確にあたりの状況を表していた……。

このベンメリアは内戦時代多くのゲリラが立てこもり、大量の地雷が埋め込まれた場所でもある。そして未だその撤去作業は終了しておらず、こんな看板があちこちに立てかけられているのだ。ぽつぽつ農作業をしている人影ぐらいしか見えないのんびりした昼下がりからは想像できないような激しい過去が確実にこの中には眠っている。

見たところ地雷撤去作業はあまり進んでいなそうではあったが、「石畳は地雷が埋められないからその上を歩けば大丈夫」と我々は荒れた参道を出発した。が、程なくそんな期待は完全に裏切られる事となる。うっそうと生い茂る木々と、瓦礫の山。楽天的な外人の考えなど見事に裏切る形でベンメリアは広がっていた。道などジャングルに溶けて跡形もない。

敷地内は、修復の手が入っていないというより、発見時からそのまま手付かず状態で静かに横たわっていた。

崩れて瓦礫の山となった回廊、崩れ落ちたヒンズー神話のレリーフ、傾いて埋もれかけた女神像。深い緑の中に重厚な石造りの建物の痕跡が無数に広がり、今なお在りし日の規模が相当な大きさだったことを想像させる。

遺跡がこのように荒れた姿をさらしている原因は、半分が内戦、半分が自然という事だが、カンボジアに眠るほかの多くの遺跡と同じくベンメリアも静かに今この瞬間もジャングルに飲み込まれようとしていた。

なんとか足場の悪い瓦礫を乗り越えて、注意深く石の上を進む。

カンボジア・ジャングルに眠る遺跡

しかしふと気づけば石畳も何もないジャングルの土の上を牛と子供が楽しそうにこちらをを見ているではないか。地雷は本当に大丈夫……?

しかしそんなおびえ気味の我々を更に驚かすかのように、足元の瓦礫から小学生くらいの男の子が突然顔をのぞかせた。

あまりに突然の事だったので驚きの声を上げると、ひどく嬉しそうにはしゃぎながら隙間から出てくる男の子。しかも一人じゃない。続けてもう一人、弟分がするりと現れる。その後、隙間から出てきた子達を皮切りに、瓦礫を踏み越えて広場のようなところへ出た時には10人ほどの子供達があちこちから現れて私達を取り囲んでいた。

アンコールワット周辺には外国語がたいそう流暢な子供の物売りや自称ガイドが大勢いるが、ここにいる子供たちは特に何かを売る気も、せびる気も無いようで、ただ崩れた道に難儀する外人の大人たちを面白そうに眺め、時には手を引いて遺跡の中心部へと誘ってくれた。まるで自分の家へ招待してくれるようである。

どうやらゲリラ兵の巣窟となった事もあるこの遺跡は、現在では彼らの秘密基地となっているようだった。

下は5歳くらいから上は10歳くらいまで、男の子も女の子も自分の庭のように崩れた門や回廊を小猿のように器用に乗り越えてゆく。誰よりもこの遺跡に詳しい彼らは、血管のように木の根が広がる石壁に彫られた彫刻や、落下し、苔むしたレリーフを案内しては、宝物を見せてくれるように楽しげになにやら説明をしてくれた。

時には数センチほどしかない狭い隙間の中にするりと入り、中に入れると呼んでくれたりするのだが、なにぶん身体は十分にいい大人である私達が入れるはずもなく残念がっていると、突然あらぬ方の隙間から現れて満面の笑みで我々を驚かせてくれる。

いつの間にか我々も遺跡に来ているというよりは、すっかり彼らの秘密基地で遊んでいるような気分である。

しばらくそんな遺跡見学をしているうちに昼時となっていた。用意してもらったお弁当以外にも朝食用に持たされた大量のバケットが余っていたので、子供たちと共に遺跡に座り込んでの昼食となる。年かさの子供は受け取ったバケットを丁寧に等分して、小さい子供たちから順番に手渡していた。仲良く並んでのお弁当、その様子は大変ほほえましく、なんだか私はすっかり楽しい気分になっていた。

食後、しばらく座り込んだまま休んでいると女の子達が私の傍らに座り、私のお団子にまとめた髪を指差して何かを言っている。どうやら同じようにして欲しいらしい。まとめるにはいささか短めではあったが、無造作に一本束ねてあるだけの髪の毛を解き、手櫛で整えながらまとめはじめた。他の女の子たちも興味しんしんだ。「さあ終わり」と肩をたたくと、私の出した小さな手鏡をのぞいて少し恥ずかしげに、しかし満足げに微笑む。するとほかの女の子たちもキャッキャと嬉しそうに笑い声を上げ、あっという間に次の子が自分の結んでいたゴムひもを私に差し出していた。その後も一人終わると直ぐ横には同じように頭を向けた子が並んでおり、期待に満ちた目で見上げられるともちろん断れるはずもなく、気づけば女の子はみな同じ髪形となっていた。

休憩後はめいめいが思い思いに過ごす事とした。ある人は男の子に連れられて隙間への潜入を試み、ある人は回廊の隙間に埋もれたレリーフを写真に収めにと。

気づけばあっという間に時間は過ぎており、我々は再び瓦礫を踏み越えて出口の参道へ向かい始めた。言葉は通じないが帰る事を察したのか子供たちもおとなしく付いてくる。

しかし……大人しかったのは参道にたどり着くまでの事であった。

白茶けた参道につくと突然背中をバシンとたたかれた。何ごとかと振り返ると、にやっと笑い走り出した。他の子供たちもそれを合図に歓声を上げながらちりぢりに走り出す。

それは鬼ごっこ開始の合図であった。

もつれるように背中を狙って走る子供たちと、それを捕まえようと走り出す大人。

はだしの子達はするすると木の上に登って行き、女の子達はそれを指差して笑う。

あたりは大きな歓声がこだまし、それに引き寄せられたのか子供の数もいつのまにか増えていた。

灼熱の太陽が照らすカサカサの石畳の上を私たちは我を忘れて走り回った。

カンボジア・ジャングルに眠る遺跡

こんなに走ったのはいつ以来だろう?

こんなに笑ったのはいつ以来だろう?

小猿のような子供たちに運動不足気味の大人が勝てるわけもなく、我々は程なく降参して参道前にポツリとあった売店の日陰で大人の特権・ビールを流し込んだ。

骨身に染み渡る冷たいビールを味わいながら、参道でまだ木登りを続けている子供たちを眺めていると、ふとその横に転がるナーガ像が目に入った。

不死の象徴とされ、寺院や宮殿内に盛んに配置されたナーガ。過去は輝かしく立派な寺院の入り口の守り神として鎮座していた蛇の神様も、今は傾き崩れかけてる。

それはひどく物悲しく、この場所が、この国が歩んできた過去そのものを表しているように私の眼には映った。

ほろ酔いで、無邪気に遊び続ける子供たちを眺めるこの幸せな時間。

それに感謝すると共に、静かに滅び行くこの遺跡が、この先の未来も銃声ではなく子供の笑い声で満ちてゆくことをそっと願った。

カンボジア・ジャングルに眠る遺跡

注:これは2002年旅行時の状況で、現在は地雷撤去もかなり進み、遺跡への道も舗装されたようです。

  • カンボジア・ジャングルに眠る遺跡
  • 30周年記念応募紀行文 佳作(1)/石井さやか
  • シルクロード舞踏館109号 2007.02.01掲載