天空都市マチュピチュ

天空都市マチュピチュ

まとまった休みをとれるのは当分ないだろうな。アミナに入社して七年目になっていた。私の部署のスタッフが増えたのを機に、こころおきなくリフレッシュする。行き先に決めたのは南米ペルーだった。スペイン語、話せない。ご飯がうまい。飛行機、怖い。マチュピチュに行きたい。サルサも踊ってやる。色々な気持ちをごちゃ混ぜにしながら、スケジュールも決めずにクスコに降り立った。

噂のセローチェ(高山病)にがっつりかかり、わけも分からず夜のバーにくりだした。ビールの世界大会で1等賞になった噂のクスケーニャとピスコサワー(葡萄から作ったとても強いお酒をレモン汁、卵白等で割ったカクテル)をあおる。「着いた初日には安静にして高地に体を慣らしてください。」早くも『地球の歩き方』を無視してしまったとボンヤリ感じながら眠りにつく。昼間はローカルな大衆食堂で2ソルぐらいのご飯を食べる。スープがうまい。日本のようにモツなどのホルモンを入れるのでコクがある。そこに短いパスタやコリアンダー等の香草が入っている。そんなソパ(スープ)がそれぞれの店にあり、食事の度に関心。

真夜中のクスコは外国人街である。アメリカ、ヨーロッパ系が多く、日本人はほとんどいない。地元の人が行きそうな地味なディスコテカ(ディスコ)を選び踊っていると、皆ジロジロと見る。日本人は珍しいからかなーと思っていたらそれは間違いのようだ。私の踊り方に問題アリ? 女性は皆私よりしとやかに踊っているのである。そうだ。ここに来る前に行ったロックのライブハウスでも、ギターやドラムが生音で鳴り響いているのに皆、着席しておとなしく聞いている。男女とも。私は最前列でヘッドバッキングしていたので、ボーカルが褒めてくれたのだった。『お前はロックをわかってる。』私にとってそれは最高の褒め言葉だったのに。どうやらこの国では私の動きが珍しいのではないか。彼女たちの踊りを眺めてみると下半身がなめらかにグラインドしている。セクシー。それに引き換えこちらは性別を超えた魂の舞。文化の違いを思い知る。道理でサルサの曲がかかっても誘われないわけだ。TVプログラムを見てても、女性の出演者のフェロモンがすごい。現地の子供はこれを昼間から見ているのかとビックリ。女性は女性らしく。なるほど異文化交流。

マチュピチュに行くにはインカ道をトレッキングという手もあったのだが過酷そうなので今回は断念。それまでにナイトライフを満喫しすぎ、体力を消耗していた。汽車で六時間、のんびり向かう。この日までに線路が土砂崩れに遭い、何度も出発を断念していた。少し不安。昼間の三時に山麓に到着。クスコから標高が下がり頭痛もさっぱりなくなる。

元気イッパイのところに雨。唯一旅のお供に日本からもってきた100円ポンチョが役立つ。雨が降った瞬間にポンチョ販売のおばちゃんたちが観光客に群がってきて、5ソルで売る。色つきのゴミ袋を広げて穴あけたようなのが!! 需要と供給。晴れてる時は3ソル。瞬間芸。いいな。こういう人間味。

天空都市マチュピチュ

バスでマチュピチュの入り口まで行き、絶景を目指し山を登る。霧で前があまり見えない。なんでここまで来て……。グレーの空を見上げて悲しくなった。とぼとぼ歩いていると、霧が晴れてきた。回りを見る。そこには見たことのある風景。でもなんかよく分からない。な、ぜ、な、ら、マチュピチュが巨大だから。テレビや雑誌では簡単に全貌を見ることができる。マチュピュとして有名なベストボジションで。しかしここまで巨大だとは思いもよらずにインカの人々が作った迷路に迷い込んでしまっていたのだった。私は風景のひとつになった。喜びで立ち止まる。雨が酷くなってきた。今日は引き返そう。山麓に宿を取っておいてよかった。明日リベンジ。

旅に出る前、マチュピチュのことはすっかり忘れていた。チャイハネに入ってアナのスタッフになった時、南米の商品に触れるようになった。特に色合いに興味をもった。派手な色彩でありながらもぬくもりを感じる色合いや、懐かしさを感じさせる素材の組み合わせが絶妙。この商品はどんな国から来るのだろう。ペルーはどんな国だろう? 神秘的な天空都市マチュピチュを意識したのはそのころだった。二年後、亀戸店に移動になった。石の販売に夢中になっていた時、一人のお客さんが一冊の本を貸してくれた。マチュピチュを舞台にした精神世界の本だった。手を伸ばさなければその実をつかむことはできない。自分にとっての真実を手にいれるためにはどうすべきかを考えさせられる、初めての本だった。そしてサルサを習い始め、南米の文化に興味をもちだした時、マチュピチュを思い出したのだった。

麓の川は昨日の雨で激流となり、その音で目が覚めた。天気は良さそうだ。今日のスケジュールはマチュピチュを巡ってからお隣のワイナピチュへ登る。もっと高い場所からマチュピチュを覗くのだ。霧につつまれた昨日とはうってかわり、青空の下白く輝く遺跡が現れた。リャマが放し飼いされ、緑の芝生がくっきりと見える。私はやっとここに来れたのだと理解した。

早速私はお気に入りの場所を探し始める。このような霊的スポットには必ず自分の好きな場所があるという。石の段を上ったり、降りたり、たくさんの住居跡、儀式のための部屋、みごとな水路を見るたび、過去にここで生活した人々について空想をした。たくさんの出会い、別れ、争い、喜びなどがあっただろう。私たち日本人と生きる環境は違っても、人間として大切な基本的な感情はかわらないのだろうか。いろいろな疑問や、憶測があふれる。そしてどうしても座って景色を眺めたい場所を見つけた。特に目立った場所ではないけれど、そこは遺跡の全貌が見える場所ではなく、マチュピチュの周りの風景を見渡せる場所だった。リラックスした。自分の知らなかった自分がいかに多いか思い知った。

暗くなる前に隣のワイナピチュに登ろう。ワイナピチュはインカの人々がマチュピチュを監視するため、もし敵に攻め込まれた時の避難場所とされていたようだ。受付で名前を書く。入山時間と下山時間を記入してもらう。ほぼ垂直に思われる山道。すごい傾斜。でもちらほら登っている人が見えるから意外と大丈夫でしょ。しかし一時間ほど経ったとき、自分の無防備さに愕然。登山ってこんなにきついっけ? 昨年富士登山ができたから大丈夫、たかをくくっていたところ、山が違えば環境も違う。ここはすべての道が山にそった断崖絶壁。しかも道幅が激狭い。道はあるがガイドになるロープや階段が壊れている。ここはペルーだ!! 高所恐怖症、飲み物が底をつきはじめている私はあせった。自分の身は自分で守らないと。どうりで登っている人があまりいないわけだ。ここはキツイのだ! 寒いから履いて来たタイツはびしょびしょ、朝の五時にホテルを出たのでまともなご飯も食べてない。だけど疲労で空腹もどこかへいってしまった。これって忍耐力テストなのかもしれない。私が頂上まで登れたのは景色の素晴らしさと先にのぼっているカップル(この人たちも私のようにすごく軽装に見える)のおかげ。最後大きな岩の洞窟アーチを抜け、遂に頂上に。まさしく絵本にでてくるおやまの頂上。転んだらひとたまりもない。死ぬ、絶対に。私は頑張って残しておいたサンドイッチとコーラを出しほおばった。

小さく見えるマチュピチュを見ながら自分をほめた。昔より忍耐力ついたんじゃない?

天空都市マチュピチュ

ふと周りを見回すと似たようなことをしている日本人が二人。しばらくすると頂上に日本人が三人だけになった。こんなペルーの山奥で地球の裏側からきた日本人が偶然にも三人。うれしくなって写真とってくださいと声ををかけた。自己紹介はしなかった。ここでは必要ない気がしたから。

一人はまじめそうな会社員風の男の人(私のように軽い乗りで登山をした感じ)。もう一人はいかにも大学生風な男の子(隣に沖縄のシーサーを置き、目的をもって来た感じ)。大学生とはクスコでのツアーでも一緒だった。皆それぞれ生き方は違うけど多分同じ思いを感じていたと思う。

この場所そんな気持ちにさせる。

クスコ行きの電車は土砂崩れで四時間遅れていた。星が出はじめた頃やっと電車に乗れたが、待ちくたびれた私はすでにクスケーニャで酔っ払っていた。向かい側に座った女性は観光ガイドで、ワイナピチュの話しになった。やはりガイドの間でも結構危険な場所として知られている。何人か死人が出たという。あの受付のサインはそれでも登るかという確認の意味もあるらしい。話がすすんでいくうちに彼女のだんなさんがテロでなくなっていたことを知った。

帰国してから今も旅の思い出がいろいろな場面で思い出される。本当の意味での一人旅は初めてだった。三十歳の記念すべき旅。「旅」とは知らない自分を見つけること。素朴でずるがしこいペルーで見つけた私は、嫌いじゃない。私はこれからもいろいろな旅を続けていくつもりだ。

  • 天空都市マチュピチュ
  • アミナMDアクセ 佐藤功美
  • シルクロード舞踏館104号 2006.04.01掲載