スピティの風に吹かれて住み慣れた京都から横浜に来て二年と半年が経った。この春あたりから自分の旅人魂が渦ついていたのは確か。 七月の終わり、僕は上海経由デリー往復五・八万円という格安チケットを握り締め久しぶりに大陸へ渡った。 ダラムサラインドのデリーから夜行バスで十二時間。モンスーン気候の影響をまさに受ける山間の町ダラムサラ。この街には現チベットの最高指導者ダライ・ラマがおり、チベット亡命政府が在る。中国のチベット地域からヒマラヤを越えネパール、インドに渡ってくるチベット人達は皆、このダラムサラを目指す。実際、五年前に中央チベットからヒッチハイクでヒマラヤを越えた際、今から亡命するというチベット人と一緒になった事がある。一概には何とも言えないが、国際政治的に重要な町である事には変わりない。 マナリ五年ぶりに訪れたダラムサラで学生時代の恩師やチベット占星医学を勉強されている日本人の方達と暫しのチベット談義(?)で盛り上がった後、僕は足早にインドの中のチベット世界への玄関口であるマナリに向かった。マナリはラダックやザンスカール、スピティといった西チベット地域への交通拠点であると共に大麻の名産地としても世界中の旅人達に知られている。なるほど、噂で聞くとおり雑草に混じってあまりにも無数の大麻草が生い茂っている街並みは圧巻である。 マナリは谷間の町でここまで来ると雨季でも多少、雨は穏やかで湿気もましになる(それでも洗濯物が全然乾かなくて困った……)。それはそうと社会人バックパッカーの問題点は時間が限られていること。とにかく二週間という限られた休みの中で僕は今回の目的地、西チベットのスピティを目指すことにした。このスピティへの道程が久々にハードなものとなった……。 過酷な移動標高二〇〇〇メートルのマナリから雲の上に在る西チベット世界まで距離にして三〇〇キロ弱。日本国内を移動する感覚だと大した事は無いのだが、なんせインドのボロいバスで四五〇〇メートルの峠を越えていくのだからかなりしんどい。薄い空気で朦朧とした意識の中、荒涼とした山岳地帯をを一気に走り抜けたどり着いたのはあまりにも険しく、乾燥しきった「月の砂漠」のような世界だった。そこは草原が比較的多い中国のチベット文化圏とも異なる雰囲気で、より一層の厳しさを感じた。谷間にはヒマラヤの雪解けが轟々とした勢いで流れる河があり、天を見上げると雲は低く蒼蒼とした空からの日差しはとても眩しい。
スピティスピティはンガリ・コムスル(西チベットの三国)と呼ばれた地域の一つで、聖山カイラス近くに繁栄したグゲ王国とも繋がりがある。国境こそあるのだが、チベット好きには一度は訪れてみたいカイラス山とも比較的近い場所にあるのが魅力だ。そしてチベット文化圏全体からみても貴重な仏教芸術が残っているゴンパ(寺院)があることでも有名である。
タボゴンパスピティで一番大きな町(?)カザから車で二時間くらい走った所にタボゴンパがある。タボゴンパは以前、ダライ・ラマ法王を迎えてカーラチャクラ大法要が行われた事もあり、またカシミール様式の仏教芸術が残されている貴重な寺である。寺の外見は、それまでに見た事のあるチベット寺院とは異なり、土壁で出来ており、西アフリカあたりのイスラムモスクに似た感じだ。 中に入ると、そこには僕が過去に見た事も無い様式の立体曼荼羅世界が広がり阿弥陀如来や弥勒菩薩が鎮座している。あの独特な密教世界は何とも言い表せない神秘さがあり、過酷な旅路を乗り越えて来た甲斐があったと思わせてくれる。 チベット世界はまだまだ僕を惹きつけてくれるようだ。次はどこへ行ってみようか……。
上海帰りに上海に一日立ち寄ってきた。以前、留学していた事があり今でも何かにつけて事あるフリをして上海に訪れる(帰る)のだが、この街も僕には魅力的で、まるで近未来都市のようなその佇まいはかつて魔都と呼ばれていた一九二〇年代の怪しさを現在もどこかに感じさせてくれる。ベンツやアウディの駈けぬける大通りから裏路地を一歩入ると今でも人力車が走っていそうな雰囲気である。 今回上海で初めてリニヤモーターカー(磁浮列車と言う)に乗ったが、あれは速すぎる。四三〇キロはなかなか凄い。そして結構揺れる。時速二〇キロのインドのバスもかなり揺れるが。
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